2011年 3月 某日
東北関東大地震により、リーマンショックから立ち直りつつあった、
日本経済が、また見えなくなってきましたね。
津波で家が跡形もない・・・
ローンはあるのに、家財道具無く
放射能の退避圏内で家に戻れない・・・
いつ、戻れるの?
戻っても、住めるの?
放射能で、農産物、畜産物が出荷出来ない・・・
汚染された物もあるけど、風評被害はなくなるの?
土が汚染されていたら、稲も植えられない?
家畜に何を食べさせたらいいの?
水道水を乳幼児は飲めない・・・
ミネラル水では、粉ミルクを作れないし!
ペットボトルの水が買い占められる?並んでも買えないの?
被災地の鉄スクラップは受け取れない・・・
リサイクルする鉄にも放射能が影響するの?
原発の安全は大丈夫か
原発で工事にあっている人は大丈夫なの?
多くの方々が、誠に多くの不安、悩み、心配のことでしょう。
あまりにも、色々ありすぎて、簡単に声を掛けられない感じです。
ありきたりですが・・・
・・・お互い、がんばりましょう。
”生き方が色々あるうちは、いくらでも生きる方法があるのに、
思い悩んでしまい、逆に死も選択の一つになってしまいますが、
生きるための方法が、1つしかない時は、死という選択肢は
無くなるような気がします。
生きる方法は、復興ですね”
終戦の時のほうが、もっとひどかったわけですから・・・
原爆投下、東京大空襲・・・
・・・ この最悪の人災を、我々の親、祖父母たちは、
生きてきたわけですから ・・・
震災後、15km沖で、屋根の上にいた男性が救助されましたね。
その人は絶体絶命の危機を感じていたはずでしょうに・・・
そのまま見つからなければ、苦しい死を迎えたかもしれないのに・・・
なぜ・・・ 自分の身を滅する事をしなっかたのか? ・・・
死に直面すると・・・ 生きることしか考えなくなるのか??
(思考で考えているわけではなく、本能だと思いますが)
目の前の、壊れた家屋を片付け・・・
売れない農作物を廃棄し・・・
命を掛けて、他者のために原発の処理をし・・・
・・・・この復興行動が、生きることの本能を発揮させるように・・・感じる。
被災していない自分も、役割を受け持ち、日本国の復興に活動することで、
より力強く生きていくように努めます。
・・・ 自分の孫に、「2011年3月11日に大地震があって・・・」 と
生きてきた証を語ることは間違いない未来なのですよね。!!
・・・ その時は、”今までとは違った豊かな日本国が存在している” と
感じるのは、私だけではないことでしょう。
やっぱり、目の前は見えるのですね!!
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